「リズムをとりながらプレーしなさい」
と言っても、人それぞれの捉え方とリズムに対する認識の違いがあります。
ここで言う「リズム」とは一定の間隔で発生する(させる)拍子、もしくは譜面上の音符を指すのではなく、人間のバイオリズムに沿った「脈動」に近いものととらえています。
機械的なリズムは、メトロノームやリズムマシーンで一定の周期で出す事が出来ます。
その装置の使い方さえ分かれば、誰にでも同じ「リズム」を出す事ができます。
意識すれば(すり込まれていれば無意識でも)、いわゆる「正確なリズム」で行動する事は可能です。
長らく、カラオケや打ち込み音楽主流であった日本の音楽シーンを背景に持つ若い選手達の多くは、商業的に娯楽と生活が分離された生活において、生のリズムを体感するという機会が極端に無くなりました。
それは、生の演奏、手拍子、踊りなどお金など出さなくても得られる文化的な感覚です。
それらは今では非日常的な「娯楽」としての存在が大きくなっています。
脈動したリズムは、所属しているコミュニティなどの環境にも大きく作用されます。
日本人とブラジル人のリズム感が異なるのは当たり前。
文化が全く違う訳ですから。
そのブラジルの中でも地域やコミュニティによってまた異なる。
それらはそこで培われて、受け継がれて来た人間の歴史でもあります。
時が経つにつれ変化するにせよ、リズムは人から人に受け継がれ、文化として地域に根付きます。
そしてそれは人間の体と意識を通過していきます。
それは日常的な娯楽としても存在してきました。
ブラジル人には、いまだに「日常的な娯楽」としての音楽が生活の一部として存在します。
日本ではそれがかなり薄まってしまったようです。
ことサッカーでは、リズミカルな動きが要求されます。
皆同一のリズムを求められているわけではなく、それぞれが異なったリズム感で効果的に正確にプレーする。
リズム感を持っていても、それをプレーに反映させるには訓練が必要になります。
今の日本では、リズムを体感するにも日常から意識的に行う必要が有ります。
日常にないのなら作り出すか、その場を探すか。
「楽しむ」ことも大きな要素の一つでもあります。
それによって意識する事が苦痛にはならなくなる。そういう風になっていけばいいのです。
意識も訓練ならば、プレーに反映させるのも訓練です。
こちらの方が大変かもしれません。
意識レベルのリズムを体内の脈動として、筋肉に染み込ませていかなければならないからです。
ダンスと大差ないのです。
ですから、出来るだけ若いうちから行うのがいい。
出来るだけ生の音楽に触れ、出来なくてもいいから繰り返していく事です。
気がついたらプレーのリズムで遊ぶことが楽になるはずです。
相手のリズムを読んで、わざとリズムを崩す事。
意識レベルのリズムが、体のギアと一体化すればそれも可能になります。
リズムを意識する事が、特別なものではなく日常的なものとして存在する様になれば、一歩世界に近づくのではないでしょうか。
2007年05月04日
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